Interior Coordinate Office

News

- NEWS - COLUMN

■おじいちゃんの背中■

今でも思い出すと涙が出てくる事があります。それは寂しげなおじいちゃんの背中。“おじいちゃん”は、私の祖父のことではなく、お施主さんであったおじいちゃんのことです。

おじいちゃんは以前勤めていた建設会社のお施主さんでした。おじいちゃんとその息子さんがマンションを新築してくださったのですが、担当者が私でした。マンションプランを練って進めているうちに、おじいちゃんやそのご家族のあたたかさに触れさせていただき、自分の家族であるかのような想いを持ちました。特におじいちゃんは、亡くなった私の祖父に良く似ていて、他人ではないような気がしてなりませんでした。

ある時、おじいちゃんが今住んでいるご自宅の話をしてくれました。おじいちゃんの家は、区画整理のために今住んでいる家を壊して、新たに建て直さなければならなかったのです。そして、大手住宅メーカーで新築することが決まっていました。

おじいちゃんは、「この家はおじいちゃんのおじいさんが建てた家なんだよ。ほらあの柱はとても太いだろ。今、こんな木はなかなか手に入らないよ。見えないけれど、梁もとても太いんだよ。おじいちゃんはこの太い柱と梁を壊してしまいたくないなぁ。」と言っていました。この家を大切に思う気持ちがとても強く伝わってきましたが、その当時の私はそれ以上の想いを持つことはありませんでした。

その数ヵ月後、おじちゃんの家の解体工事が始まりました。気になって見に行くと、おじいちゃんがひとり、壊されていく家をじっと見つめていました。その背中があまりにも寂しそうで、声を掛けることすらできずに帰ってきました。

新しくできた家はとてもとても立派なものでした。上棟式の餅投げでは頑張って屋根に登り、お餅を投げてくれたおじいちゃんは幸せそうでした。でも、新たな年を迎えようとしていた12月31日の夜、おじいちゃんのご家族からの突然の訃報に言葉を失いました。数ヶ月間だけ新しいお家に住んで、おじいちゃんは天国に行ってしまったのです。あんなに元気だったのに..。

ご家族の方が、「おじいちゃんが孫のようにかわいがっていた澤木さんにはお別れに来てもらいたくてお電話しました」と言って下さいました。お別れの日も、家族の皆さんと同じように最後までおじいちゃんのそばに居させていただきました。そんなに大切に思って頂いていたのに、私はおじいちゃんの心の言葉を聞き逃して、思いを叶えてあげることができなかったのです。思い出すのはあの寂しそうな背中…。

今では誰もが知っている古民家再生。古民家再生と言うと、とても大それたことの様に感じていました。でもそれは、そんなに大それたことでなくてもいいのです。おじいちゃんの想いが、たくさん詰まっている柱や梁、建具などを使って居心地のいい住宅を造ることができるのです。当時の私にはそんな発想がひとつもなく、そういった提案をして差し上げられなかった…という思いが、今でも心の中に大きく残っています。

おじいちゃんが幼いころから過ごした町は、今では道も広く整備され、全ての家が新築されてきれいなものばかりで溢れています。でもそこに行くと複雑な思いになり、おじいちゃんの遺影の前ではおじいちゃんに会いたくて仕方がなくなることも確かです。

この出来事は今でも私の心の中で“後悔”という文字で残っています。

- NEWS - COLUMN

■メダカの母になって■

なんと変わったタイトルだと思われたことでしょう。タイトルにある“メダカの母”は、実は私のことなのです。確か2年ほど前、メダカが絶滅の危機にある事を知りました。川が近くに流れているという環境の中で育った私は、当たり前の様に川の中でたくさんのメダカが泳いでいると思っていたので、その話にとても驚いた事を思い出します。驚いただけではなく、環境をそこまで破壊してしまったことにショックを受けました。

昨年の春、叔父がメダカを近くの川からたくさんすくって来たことを聞きました。早速、そのメダカを増やして川に放流しよう!と5匹もらってきたのです。これが“メダカの母”のスタートでした。絶滅の原因のひとつに、人間が川に放流した外国の偽メダカが日本のメダカを食べてしまうからということがあるそうです。見た目はそっくりだそうで、叔父からもらったメダカが偽メダカでないかどうか豊川市にある「ぎょぎょランド」に持っていき、確認してもらいました。結果は“本物”!これでおもいっきり増やすことになったのです。

ぎょぎょランドの方は、「産み付けた卵を親と別の容器に移してあげるだけ。メダカは簡単に育てることができます。」とおっしゃっていたのですが、今まで“魚”を飼う事に縁のなかった私にとっては、とてつもなく大変な事をスタートさせたのでした。

水槽の中の水草に卵が産み付けられてないか、毎日の卵チェックに始まり、孵化した子メダカたちの世話など、本当に大変でした。分からないことばかりなので、インターネットでいろいろ調べて実行。おかげで1500匹以上の稚魚が誕生。(卵はその倍以上ありました。)その中のほんの一部が成魚になって1年近く経つ今、お腹に卵をつけています。

大切なことのひとつに同じ日本のメダカであっても、決して他の川に放流してはいけないそうです。DNAが違うので生態系を崩してしまうのです。一番大変だったのは環境づくりでした。当然のことながらカルキの入った水道水はダメ。水槽の温度と3度以上違う水にメダカを突然移してはダメ。酸素が欠乏してはダメ。メダカが排出するアンモニアが水の中に含まれすぎてはダメetc…。結局、自然の中ではないのだから、自然に近い状態にしてあげないと死んでしまうのですよね。加えて、手を掛け過ぎても死んでしまうのですよ。

この1年、メダカの母を毎日やっていて、メダカが環境の変化にとても敏感なことに驚かされました。私達人間も、環境づくりを真剣に考えていかないと!何が大切かに気付いていかないと!もっと大変なことになることは間違いないです。メダカの様に環境の変化ですぐに死んでしまうことはないのでしょうが、アレルギーをはじめいろいろな病気になっている人が増えています。「メダカ絶滅の危機」と言っているのが「人間絶滅の危機」とならないように。

- NEWS - COLUMN

■貧富の差がないことって■

ちょうど4ヶ月ほど前、私が入会しているインテリアコーディネータークラブの研修旅行で、タイのバンコクに行ってきました。

バンコクは、日本の夏を感じさせるような蒸し暑さでした。そのうえ、飛行場に迎えに来てくれた観光バスはかなり古く、バスのトイレのドアはガムテープで押さえてある…。ホテルも高級ホテルにしたはずだったのに、正面玄関前の道は細くきちんと舗装されていない…。
ホテル周辺は薄暗くて恐い!という印象。バンコクに着くなり急に不安な気持ちになったのでした。しかしホテルに一歩入ると、洗練されたインテリアの大空間が目の前に広がっているのです。この外と中の落差にただただ驚くばかり。この落差ある印象は、この旅行中さまざまな場面でも強くなるのでした。

観光地めぐりもよかったのですが、雑貨や街を観てまわったことはとても刺激的でした。バンコクの主要な道路は年中渋滞。乗用車は、ほとんど新車ではないだろうか?と思えるほどピカピカの日本車やヨーロッパ車ばかり。(でも、バスやタクシーは・・・)
あまりに立派な車ばかりだから、私たちの車をバンコクに持って来られないね!と笑っていたほどです。車の値段は日本の2倍以上するとガイドさんがおっしゃっていたので、皆さんかなりお金持ち。(たいてい2台持っているとか)

デパートのインテリアは、東京のデパートなど比べ物にならないほど上手く空間を活かしていました。ショップの造り方も見せ方も優れています。高級感あふれるデパートや、少しカジュアルなデパートはとても魅力的です。でも、すぐ隣にはデザインなど関係ない、値段が勝負のデパートがある。その数百メートル先には、1人で歩くにはちょっと恐い衣料品の市場がある。欲しいものによって、どの場所に行けばいいのかがはっきりしているから便利です。
それにしてもかなりの落差があります。

ホテルも何箇所か観てまわりましたが、バンコクのホテルはとても魅力的。東京の有名なホテルもほとんど行きましたが、どこか違うのです。バンコクのホテルで、たまたま結婚パーティーの準備をしているところを見ましたが、アメリカの映画に出てくるような雰囲気が作られていました。すでに集まっていた参加者たちのドレスアップした姿は、そのまま映画のシーンに出て行っていいのではないだろうかと思える人ばかり。日本でこんな光景に出会えるかしら?私が知らないだけ?
バンコクのお金持ちの人たちはかなり洗練されているのでしょう。街のいたるところで出会う人たちや、ショップを見てもそう感じました。

ただ、歩道には痩せた赤ちゃんを抱いた、痩せたお母さんが大きな紙コップを前に置いて、夜遅くまで座っているのです。排気ガスで黒くなりながら…。小学生くらいの子供達もいたるところでそうしていました。超高層ビルのすぐそばには、落差の激しい建物が建っている光景もいたるところで見られました。

そのときふと思ったのです。日本もそんな時代を経験して現在があるのだから、仕方ないのだろうか。でもちょっと違う気がしてならない。そして日本の皆が中流だと感じる、この平等な生活っていいものだなぁと。実力社会で、頑張った人がお金持ちになるのは当然かもしれないけれど、ある程度の平等は大人の社会ならでは!でないだろうかと感じたのです。
あらためて日本の欠点と言われていることが、とてもいいものに思えたのでした。

タイでは感心することも多くありました。タイでは日本の良さも多く感じました。
地球規模で考えると、何がいいのだろうと考えるいい機会にもなりました。

- NEWS - COLUMN

■子供たちに教えられ■

昨年の7月から今年の2月まで、ある小学校へ「クラブティーチャー」として伺っていました。地域の人に“ものづくりなどの先生”として来てもらい、学校と地域が一体となって子供たちの豊かなこころを育もう!という取り組みなのです。私は地域住民ではありませんでしたが、声がかかったので喜んで引き受けたのでした。

インテリアの授業は、「カラー」「インテリアスタイル」などを、なるべく目で見て覚えてもらえるように毎回進めていきました。
2月の最終日には、4時間かけてそれぞれが製作した「夢の部屋」をみんなの前で発表してもらいましたが、その完成度は私を驚かしてくれるほど素晴らしいものでした。

その発表の後、こちらでテーブルセッティングした机で、ジャズやクラシックを聞きながらハーブティーとパンを食べました。そして、用意したパンの「香り」や「柔らかさ」、「見た目」、「味」を子供達に意識してもらいました。食事は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5感を感じながらしているんだということを、理解してもらったのです。
「いつも食べる給食を、このテーブルで食べたほうがおいしく感じると思う。」
「なんか、おちつくー。」「パンも、のせる入れ物をかえるだけですっごくおいしそう!」
子供達の素直な反応が、うれしくて仕方ありませんでした。そして、即実行してもらえる様、お金をかけなくても素敵なインテリアにすることができることを伝えたのでした。
そして私は、一番やんちゃだった4年生の子の「なんか心がおちつく-!」の言葉で、ちょっとした配慮だけでも“豊かな時間”を子供達が感じてくれることを実感したのでした。

小学校での授業の終わりとして、どうしても伝えておきたかったことがあり、音楽を聞きながらパンを食べている子供達にまず、街並みの写真を見てもらいました。
スイス、ドイツ、パリ、ロンドン、ギリシャetc…。子供達はどの写真を見ても「きれい!」「なんか、屋根の色が全部一緒できれい!」「建物が古くてもきれい!」と感想を述べていました。その後、日本の田舎の写真を見せても「きれい!」と感じてくれました。

最後に、色々な建物が入り混じっている日本の街並みの写真を見せたところ、すかさず声を揃えて「きたなーい!!!!!!」と言うのです。この反応に、子供達のきれいなものを見る感性の鋭さをとても強く感じ、ますますうれしくなってきたのでした。

そう感じてくれた子供達に、「インテリアは自由に、自分の好きなようにしていいよ。でも家の外側は、自分勝手に作ってはいけないんだよ。外国のきれいな街は、決して新しい建物ではないけれどきれいだったよね。それは、まわりの建物と調和させているからなんだよ。日本も昔は、調和を考えていたからとてもきれいだったんだよ。今、そのことを忘れてしまっている大人が多いけれど、みんなはそのことを忘れないでね。」と話をし、授業を終わりました。

ある日、山形のインテリアコーディネーターと小学校での授業について電話で話をする機会がありました。彼女も、日本も欧米諸国のように小学生のうちから住居に関して学ぶべきだと考えている人でした。話をしていてお互いにとても驚いたことがあります。それは、小学生と大学生の違いです。彼女の知っている大学教授が以前、偶然にも私と同じ質問を学生達にしたことがあるそうです。大学生達は、ヨーロッパの古い街並みを「美しい!」と言ったそうです
(小学生と同じで安心…)。ところが、日本の街並みを見せたときに「それはそれでいいんじゃない。」という感想を述べたそうです。大学生までになると、今の現状をそのまま受け止めてしまうようです。

子供の持っているこの素晴らしい感性を、素直に伸ばしてあげられたらどんなにすばらしいだろうか。私たち大人が変わっていけば、この素晴らしい子供達は、ますますその能力を発揮していけるのだろうなぁと感じたのでした。

校長先生がおっしゃっていました。「地域の方々と子供達との交流が、まず第一の目的です。」と。交流によって、さまざまな影響や刺激、安心感を子供達にもたせてあげることが出来る事を、校長先生も、他の先生方も地域の方々もご承知の上で、実現させていらっしゃるようでした。この小学校の取り組みで、とても多くのことを学ばせていただきました。  教えてくれたのは子供たちでした。

- NEWS - COLUMN

■昔に学べば・・・■                           

21世紀がスタートしました。皆さんはどのように新世紀を迎えられましたか?
私は、初日の出の荘厳さに感激しながら、21世紀への思いを膨らませるというスタートでした。初日の出を観ながらふと“日の出は、今日だけ特別というわけではない“と思ったのです。私の中では、新年を迎えるときだけ特別に“初日の出”として日の出を意識していますが、1日たりとも休むことなく日は昇っている。これから毎日、初日の出を観るような気持ちで日の出を観ることができたら・・・、1日をもっと大切に感じることができるのではないだろうかと、強く感じたのでした。

新年を迎えるためにあちらこちら家で、窓拭きやらワックスがけ、庭掃除などの大掃除をしていました。「家を大切に守っていこう」という気持ちが、大掃除をすることで強くなるのではないのでしょうか。昔はどの家にも大工道具があり、家のメンテナンスは家の者が常にやっていた日本の習慣を、この時ばかりはほんの少しでも感じることができ、とてもうれしい気持ちになります。我が家でも、庭の土に竹ぼうきの線が綺麗に引かれています。家に入ると、新年のお客様を迎えるための生け花や松があちらこちらに飾られ、庭を見ても家にいても優雅な気持ちになります。

最近では1月1日からお店を開いているところがあるので、保存のきくおせち料理も威力を発揮することがなくなりました。でも、にぎやかなデパートに買い物に行くのではなく、家族とゆっくり新年を迎え、きれいに飾られたおせち料理をつまんでいる時の穏やかな雰囲気は、なんともいえない豊かな気持ちになれます。いつもとはまったく違う空気が流れているように感じるのです。

親戚へのあいさつまわりでは、おしゃれをして出かけ、叔父、叔母、いとこ達といろいろな話に花が咲き、家族のつながりを感じます。年賀状では、日頃ご無沙汰をしている友人、知人のことを気にかけることができます。
これらは相手のことを強く思いやることができる、とてもいい習慣だと思います。

お正月だけが特別ではなく、常に家の人や来客が気持ちよく過ごせるように家をととのえたり、ゆっくり家族と食事をしたり、人のことを気にかけたりしてくと、どんな日々になるのでしょうか。きっと心にゆとりのある穏やかな生活になるのでしょうね。
お正月は、昔の日本人の心や生活が、いかに豊かでゆとりがあったかを感じることができます。昔のいいお手本を見せてもらえるお正月を、日の出と同じようにこの1年忘れずに過ごして行けたら、いろいろなものを大切に思うことのできる1年になりそうです。

- NEWS - COLUMN

■流されないで■

オランダのハーグで開かれている「気候変動条約会議」で、アメリカ代表団団長が記者会見中に女性からパイをぶつけられる映像を、先日ニュースで見ました。アメリカが地球温暖化防止に積極的でないとうのが理由だそうです。

この会議では、日本もとても厳しく批判されている様です。
確かに日本は、途上国などの森林を破壊していると聞きます。(森林は二酸化炭素削減にとても効果があるのです。)現在、日本が途上国でどの程度森林破壊をしているのか具体的には分からないのですが、私たちもしっかり気を引き締めなければ!と感じます。木の使用目的を想像する時、“建築”がまず浮かんできますから..。

日本の建築には、当然外国の木よりも日本の木の方が適しています。また建築では、使う場所によって適している木の種類も違ってきますので、様々な木を各所で使うことができます。
ただ現在、日本の林業は衰退しています。荒れ果てた山林が、それこそ山のようにあるようです。有り余っている日本の木は使われず、外国の木を安く輸入して使用しているからです。

日本の木を私たちがもっと使えば、単純に考えても素晴らしい効果ばかり期待できます。
まず、日本の林業が潤ってきて、そこで働く人たちの生活も潤ってきます。私たちも、より良質な材料をお値打ちな金額で手に入れることができます。そして私たちの住む家にこの風土にあった木を使うので、とても気持ちのいい快適な生活を得ることができるのです。

結果として外材に頼りすぎないようになるので、途上国の森林破壊を防ぐことにもなります。そうそう、もう1つ!山に人の手が入ることによって、きれいに整理された山林が出来上がるので、杉花粉で悩まされる人も減るのです!?(花粉症に悩む私はうれしい!)

みんなが共通して幸せになってしまう事って、案外近くにたくさん転がっているのかもしれません。仕事の忙しさや社会の流れに流されてばかりいると、気づかないで過ぎていってしまいそうですが。

- NEWS - COLUMN

■やさしい瞳から/Ⅱ■

なぜエネルギーが2100年には爆縮(急激になくなること)してしまうかというと、これから先進国が増えてくることがその理由の1つだそうです。日本は1970年代に先進国になりましたが、経済の成長と共に消費も急激に増加し、1970年頃に比べると現在は、エネルギー消費が大幅に増えているそうです。後進国が経済成長と共に、今の先進国の様にエネルギーを使い始めたら?!と考えると、とんでもないことになることが想像できるというのです。

ただ、一度得た快適性や利便性はなかなか捨てられません。だから社会が進化しているし、文化もあります。これらの快適性を、エネルギーを使わないためにがまんしなさいと言っても、そうそうできるものではありません。快適性、利便性を維持し、いかにエネルギーを使わないようにして行くかというと、今までのように「経済の成長=消費エネルギー量増加」にならない成長にする。つまり「循環型社会」にするしかないという事だそうです。

「循環型社会」とは、「1」のエネルギーから「1」の物をつくり出すのではなく、エネルギーを循環させて「1」のエネルギーから「100」いや「百万」の物をつくり出していくという事だそうです。ペットボトルを再生して使うという事は、これにあてはまらないそうです。なぜかというと、再生するのにまた多くのエネルギーを消費しているからです。

ではどうやって「1」のエネルギーからそれ以上の物を作り出すのか…。例えば、日本の風土は夏の暑いときに湿気が多く、冬の湿気が欲しいときに湿気が少ない、快適とは言えない風土です。日本とは全く反対の気候(快適な気候)である国の住宅を、そのまま日本で造ると、エアコンなどの力を借りなくては快適に過ごすことができない訳です。エアコンなど、エネルギーを消費する物を使わずに快適にすることができないだろうかと考えると実はあるのです。
例えば、木や土などの孔を持っている材料を住宅に使うと湿度コントロールしてくれます。

石田氏は、ご自宅の分譲マンションの壁に珪藻土を塗り、床には土を蒸したタイル(製品化されているもの)を貼られたそうです。それまではエアコン無しでは考えられなかった生活が、改装してから一度もエアコンを使っていないとか。土が湿度を調節してくれるのでとても快適で、使う必要がないのだそうです。快適さは他にも表れ、魚を七輪で焼いても匂いが部屋に残らない。そればかりか、匂いを感じることのできなかった奥様が、ある日突然「いい香りがするわね。」と言い出したそうです。
快適さをただ感じるだけでなく、改装前と改装後の自宅の各所温度や湿度、消費電力のデータを比較した結果、大きく差が出、快適さを立証していました。

「1」のエネルギーを「100」にも「100万」にもできる。そして、より快適な住宅を造って行きたい!そう強く感じた講演会でした。

- NEWS - COLUMN

■やさしい瞳から/Ⅰ■

今年の8月、冷房がガンガンかかった会議室で行われたセミナーで、私は始まりから終わりまでの90分間、まばたきすらできないほど(ちょっと大げさ!?)講師の先生のお話に釘付けになっていました。

釘付けになったセミナーは、㈱INAXの技術統括部 部長でもあり、金沢大学・豊橋技術科学大学・日本福祉大学の客員教授でもある、工学博士の石田秀輝氏のお話。「循環型社会と新しい住まい方」でした。
やさしい瞳で、語りかけるようになめらかに環境問題などについて話してくださるのですが、その思いの強さと、専門的な統計によるグラフに、心から危機感を感じたのでした。

今、いつも感じている「家造りはこれでいいのだろうか?」という思いはもっと強くなってきたのでした。今まで色々と考えてはいたものの、どうしても難しい話になりそうで、正面から環境問題についてぶつかって行くことがなかったのは確かでした。ただ、お話を聞き終わった後に、肩の力を少々抜いて考えることができたのです。そんなに難しく考えずに少しずつ改善して行けそうな、そんな気がしてきたのです。そのお話をちょっとだけおすそ分け。

地球が誕生して45億6千万年。その年月を一年間に置き換えると……。
お正月に地球が誕生しました。土ができたのは、ナント“11月28日”。(今、アスファルトの下に隠れてしまっている土は、そんなに長い年月をかけてやっとできたものなのですね!!)

私たち人間は“12月31日23時59分50数秒”に誕生したのだそうです。二本足で歩くことができるようになった人間が誕生して、現代の私たちに至るまで、わずか数秒しか経っていない...。(たったそれだけなの!!)

地球が誕生して、わずか数秒しか地球上にいない私たち人間。しかも、もっとわずかしかこの地球上に居ない「近代社会に生きる人間」の私たちが、地球のエネルギーを使い果たそうとしているのです。(悲しい現実…)
このままで行ったら2100年にはエネルギーが爆縮してしまう(急激になくなる)そうです。

また、この地球上で暮らしていける人口の限界は、約80億人だそうです。2000年の現在、約60億人が地球上で暮らしているとか。1950年には25億人だったので、わずか50年で35億人の地球上の人口が増えたのです。これほどまでに自分達を追い込んでしまった私たちは、いったいどうしていったらいいのでしょうか。

- NEWS - COLUMN

■ハイデルベルグ(ドイツ)&豊橋■

今年の7月に行ったヨーロッパ旅行の始まりはドイツでした。フランクフルトから車で約1時間半ほど南下した場所にある「ハイデルベルグ」を最初に尋ねました。「哲学の道」があるゲーテの愛した街です。

ハイデルベルグは、ネッカー川を中心に古い街並みで形成されていました。ネッカー川にかかる最古の橋からは、小高い丘に建つ「ハイデルベルグ城」を眺めることができます。ちょうど豊橋市に置き換えると、「とよ川」と「吉田城」、「吉田大橋」の関係に少々似ています。

その小高い丘の上に建つハイデルベルグ城から街を見下ろしたのですが、それは本当に美しい眺めでした。街には、高級感あふれる建物や、新しい建物が建っているわけでは決してありません。むしろ、古くて素朴な建物が多い「田舎町」という雰囲気です。
建物の新しさから言えば、豊橋の方がずっと新しい建物ばかりです。ハイデルベルグほどの古い建物を豊橋で探そうと思っても、そうそう見つかるものではなさそうです。でも、とても美しいのです。

ハイデルベルグは、街全体の色味がこの風土にとても調和していました。
街の建物の屋根は、すべてこの地域の赤土を使った瓦だと聞きました。なるほど納得..。
屋根の色が街全体で統一されているのは一目瞭然だったのですが、その土地の土を使っているのだから、屋根の色がその土地の川や木々、草や土など全ての色に調和しているのでしょう。

街の中を歩いていても同じことが言えました。街中の道には石が敷き詰めてありました。その石畳に調和するかのように建ち並ぶ建物、そして外灯、看板。何を基準に調和させているのか分かりませんが、言えることは環境を無視した建物はひとつも建っていないということです。
環境は、自然がもたらすものもありますが、加えて人間が作り出す環境もあります。その場所に建つ建物も環境のひとつで、とても大切なものです。
自分の建物だけが目立てばいい!素敵であればいい!などと考えるのではなく、お互いに調和する建物を作っていけば、おのずとハイデルベルグのようなステキな街が出来上がってくると思うのです。

日本に戻って来てから、以前から気になるところがたくさんある街並み、何度も眺めている街並みを見るために、豊橋市役所の最上階にある展望室に行きました。
以前の豊橋はきっと美しかっただろうなぁ...。立派な建物じゃなくても、三河の土や木を使った家ばかりだった頃は、心休まる街並みだっただろうなぁ...。そう感じながら眺めていました。

「 新しいもの」がすべて優れているかと言えば、そうでもない気がしてなりません。

- NEWS - COLUMN

■ヨーロッパ珍道中■

旅行に出掛けるのは、ちょっとした刺激もおおく、気分転換になるものです。特に海外などに出掛けると、食べ物も建物も文化も違うので(当然人も!)、刺激やエネルギーが多く、チャンスがあれば飛んでいきたくなります。

先週の日曜日、急に決まったドイツ・スイス・パリの旅行から帰ってきました。
ドイツ、スイスでは素朴で自然の多い街や山を観光し、その後フランスのパリに滞在するというものでした。パリはちょうどパリ祭の真っ最中で、かつ、アメリカ人のホリデイの時期と重なり、それはそれはすごい人の数でした。パリにブランド物を買いに行く人も多いと思いますが、私の興味あるものはインテリアや建築に関するもの。パリはどこに行っても私を立ち止まらせてしまうところばかりでした。

パリにお買い物に行った日本人から“パリの人はプライドが高くて、観光客には冷たい態度をとる。”という言葉を何度か聞いたことがありましたが、想像以上に親切なパリっ子ばかりに出会いました。道を尋ねると、英語で丁寧に教えてくれるのです。ただ、店員さんなどに、感じのいい方が少なかったのは確かでした。特に地下鉄の駅員さんのお客さんに対する非協力的な態度は、おかしくなってしまうほど。

私と友人は、ホテルからベルサイユ宮殿へ地下鉄を利用して行きました。切符を購入する時に困らないで言えるようにと、紙にフランス語で「ドゥ・ビエ・シル・ブ・プレ(2枚の切符を下さい)」とカタカナで書いておきました。友人が「私が買ってくるね!」とその紙を持って切符売り場に行ったのはいいのですが、窓口でとっても嫌な顔をされているのです。何が問題なのかしら?と行ってみると、ナント友人はカタカナで書いたその紙を、駅員さんに向かって見せているだけだったのです!!!声に出して言わなければ分かるはずもなく..。

日本では優秀なキャリアウーマンの友人からは、想像もできないほどギャップある行動に、笑いをこらえることができませんでした。”旅の恥は掻き捨て。”こんな言葉があると言うことは、旅では恥を掻きやすいのでしょうか。あの駅員さんの迷惑そうなイヤーな顔は今でも鮮明に浮かんできます。

嫌な顔をされるのは、こちらにも何か原因がありそうです。その原因は、端から見ている者にとってはおもしろいことも多そうですが。