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■桜守(さくらもり)■

名古屋に行く途中の電車の中で読んでいた本の中に、桜守(さくらもり)をされている「佐野藤右衛門さん」の話が出てきました。弱りかけた桜があると聞けば、全国どこへでも出かけて行くという佐野さんは、京都の嵯峨野に住む、造園業「植藤」の十六代目だそうです。

その佐野さんの話がとても興味深かったのです。もっとこの方の事を知りたいと思っていたら、ナントその翌日、NHKテレビの「人間ドキュメント」という番組で、「桜のいのち 木のこころ ~桜守 佐野藤右衛門~」と、取り上げていたのです。この偶然に大感激でした。

佐野さんは、「桜を世話したり、育てているつもりはない。ただ、桜の“もり”をしているだけだ。」とおっしゃっていました。「いつも一緒にいて、気にかけていればいい。必要な時だけ手を差し伸べてやれば、自分の力で育って行く。子守りと同じだ。」と言うのです。

「“世話”と“お守(おもり)”と、どう違うのですか?」という質問には、「“おもり”というのは、いつも一緒にいること。いつも背中に乗せているということ。“世話”はそこに行って何かをすること。“世話”は、してやったことだけしか分からない。“おもり”はいつも一緒にいるから、全部分かってくる。」「今、子守りをしないから具合が悪い。“子守り”をせんと、“子育て”をしているから子供達がおかしくなってくる。」とおっしゃるのです。

佐野さんは、弱った桜に薬をやったり、強い肥料をやりません。何が原因で弱ってしまったかを突き止めて、原因を取り除いてやるのです。“お守”をしているからこそ分かる原因なのでしょうね。後は桜に任せるしかないと見守っているのです。

“世話はしない、もりをするだけ”と聞くと、一瞬、無責任な事のように感じました。しかし、「いつも一緒にいて、困った時だけ手を差し伸べる」という“もり”は、かなり難しく、成熟した人でなければできないのではないかと思います。佐野さんの短い言葉の中に、さまざまな経験や想いが詰め込まれていました。

電車の中で、佐野さんの想いにほんの少し触れた後、行き先だった名古屋市公会堂に着きました。鶴舞公園の中にあるこの公会堂は、大変古い建物でした。外壁に使われている石とタイルが重厚感をかもし出しています。内部の仕上げも、すばらしい細工がいく箇所もあり、ついつい見入ってしまいます。古いけれど、とても魅力的な建物です。

桜守りではないけれど、この公会堂も誰かがお守りをしているからこそ、残っているのでしょうか。成熟した人の、“もり”があればこそのものを身近に感じたのでした。

そして、「どうせ20年もしたら壊しちゃうから」という思いの、お守りのいらない建物だけはつくりたくないと、ますます強く感じたのでした。

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■住む人のための家づくり■

2002年3月半ば、長い間携わってきた住宅が一軒竣工しました。第1回目の打合せ記録を見てみると1999年12月とあるので、なんと2年3ヶ月もの年月を経ての竣工なのです。建築に着手したのが2001年の9月なので、打合せ期間にじっくり時間をかけたことになります。お施主さんは20代のお若いご夫婦。真っ向から家づくりに取り組まれて夢を実現されました。

お二人の要望は“和”ではなく“洋”。外観も当然洋風ですが、周りの住宅や環境に配慮して、色味の落ち着いた主張しすぎない外観にされました。ともすれば自分達の想いだけで家づくりをしがちですが、このご夫婦は周りへの配慮をきちんと考えていました。これからお庭やアプローチに緑を植えていかれるので、ますます環境と調和した素敵な住宅になります。

その代わり、住宅の内部は思いっきりお二人の要望が入っています。テラコッタタイルにムクの床、珪藻土の壁に間接照明。階段の手摺りにしても、建具の1枚1枚にしても、全てにこだわりをもって決めています。風の流れや光、雨の日や留守中の洗濯物を干す場所、水の使い方からスピーカーの配線に至るところまで。他の人では全く分からない場所までこだわって配慮しました。

そして、プライベート空間にはお客様が入られることはまずないということで、壁や天井を珪藻土でご自分達で塗りました。子供部屋の壁や天井は、お子さんがまだいらっしゃらないという事もあり、下地材のままになっています。自分達の生活のリズムや、お子さんの成長に合わせて徐々に仕上げていくのです。

例えば、今後お子さんが壁いっぱいに落書きしたって平気。壁が下地材のままなのだから、後からきれいに珪藻土を塗ってしまえばいいのです。ここのお宅は、木製の玄関ドアの塗装だって自分達で天然塗料を塗って仕上げました。今後のメンテナンスもある程度はご自分達でやられる様です。

個人住宅は、人によって価値観が全く違います。誰が住み、誰の為の住宅なのかという事をよくわかっているからこそ、満足のいく家づくりが出来たのだと思います。そこに住む予定が全くない人の価値観をたくさん入れていたら、自分達の事はどこかに置き忘れた家づくりになっていたと思います。

外観は環境に配慮し、家の中は自分達が心地よく感じることに重点をおいてつくっていったこの家は、きっと永遠に大切にされることでしょう。

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■子供とともに■

3歳の甥っ子が急に「びんらでぃんし!びんらでぃんし!」と叫びます。もちろん何のことか分かっていません。「おまえなんて、ほうちょうできってやるー!」といった言葉にびっくりして叱ったこともあります。これももちろん深い意味などは分かっていないことでしょう。まだ幼稚園にも行っていないのですから、おそらくテレビで耳にした言葉や、目にした事を覚えてしまったのだと思います。

とにかく甥っ子は、3歳にして大人の観るような番組を観てしまっているようです。それには親やテレビ局、社会全体、もちろん近くにいる私にも原因があると思います。テレビ番組は、私自身も観るのが辛くなるような番組が度々あり、すぐに変えてしまいます。そして、これを子供が観たらどうしよう!と、とっさに時計を見て、全国の子供達が起きている時間ではないか確認してしまう癖がつきました。そしてその番組を観ていない事を願ってしまうのです。また、私たちが子供の頃はよく読みなさいと言われた新聞も、最近はあまり読んでほしくないなぁと感じてしまうのです。

その甥っ子は、私が外壁タイルを太陽の光に当てながら色合わせをしていると、ジーッと見ていて「この色にはこの色があうと思うよ!」なんて言ってきます。いろいろな仕上げ材を広げて、色合せをしている私を度々見ているうちに、どうやら色に興味を持ってしまったようです。最近では「このGパンにはこの色のくつ下とくつ!」と言っては、自分で服などをコーディネートして着ています。ガーデナーが甥っ子の家のアプローチを作ってくれている横で、私がプレゼントしたタイルを鮮やかに並べて、私たちを驚かしてもくれます。

甥っ子を見ているだけでも、無限大に可能性を持っていることを感じます。また、私たちのやっていること、テレビで言っている事を真似して大きくなっている事を目の当たりにすると、子供達に大きな影響を与えているのが私たち大人であることも実感し、責任を感じます。

今年は本当に辛く悲しい事件が多くあり、今でも解決していない状態です。苦しんでいる人々や子供達の事を思うと胸が苦しくなります。大人達のエゴを強く感じた1年でもありました。今年起きてしまった数々の不幸な出来事は、この2001年に置いて行きたい。そして2002年は、今までの良くない出来事を反省して行き、どんな小さなことにも感謝して行きたいと思っています。

子供達が、愛、思いやり、優しさ、和という心温まる出来事をより多く感じて、そういった言葉がたくさん耳に入るような世の中にしていきたい。そして、世界中の人々が平和に暮らしていけることを願い続けたい。まずは、自分自身が心掛けて生きていくことだと実感しています。

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■人にやさしいまちづくり/Ⅱ■  

「人にやさしいまちづくり講座」の後半では、10人を1グループとしたグループ学習がありました。それぞれのグループで決めた場所で「人にやさしいまちづくり」について検証し、提案をするというものです。私のいたグループは、“豊川稲荷の門前町”のまちづくりについて取り組みました。

まずは門前町を歩いてみることからスタートし、別の日には市営駐車場から豊川稲荷正門までの道のり(門前通り)を、車椅子とベビーカーを押して歩いたり、門前町の店主さん達にバリアフリーなどの取り組みについて聞いてまわりました。

ただこういった事をしていると、ついつい高い位置からここがいけない、あそこがいけないと悪いところに目を付けては批判してしまいがち。私たちのグループに同行していてくれたアドバイザーの方の助言がなかったら、何のためらいもなく私もそうなってしまったことでしょう。

そのアドバイザーの方は、「突然来た人が数回だけ門前町を見て、あそこが悪い、ここが悪いと言っても、毎日門前町のことばかり考えている方々の足元にも及ばないだろうし、失礼だと思うよ。」「段差などのチェックばかりして歩いていても良い提案などできないと思うよ。」「外から見た意見として伝えていくのは歓迎されるだろうね。」など、何気なくアドバイスしてくれるのです。そして明るく「さあ、暑いからカキ氷でも食べましょうか!」「どこでお昼を食べようか?」と色々なお店に入ることをそれとなく提案してくれるのです。

ハッと気付いたのですが、この提案は頭の固いお役人になりかけていた私たちを、お稲荷さんに参拝に来た人や地元の利用者の立場に変えてくれたのです。ほんのわずかな時間で検証して提案するのだから、大それた提案をすることなどなかなかできない。ならばこうしてお店に入って食事をして楽しんで、門前町により近づいてみることが大事。利用者の視点になってはじめて“人にやさしいまちづくり”の提案が少しできると言うわけなのですね。

このグループ学習を発表会で発表した時、発表に対するコメントをくださる先生に「車椅子に自分達が乗って検証してたらいかんねー。あんた達はせいぜい乗ったって数時間でしょ?!車椅子を使って生活している人にどうして協力してもらおうと思わんかったわけ?」と指摘されました。全くごもっともです。どうしてその発想がなかったのかと情けなくなりました。

人にやさしいまちづくりは、“かたち”から入るのではなく、“人の心”が大切だということをとても強く感じさせられました。私たちのグループの報告書はメンバーのひとりのこの言葉で締めくくられています。「心が動いて はじめて人が動く。 人にやさしいまちづくりとは 地道な努力の積み重ねでもある。」

 

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■人にやさしいまちづくり/Ⅰ■

「人にやさしいまち」というと何を連想されますか?段差がない、障害者用トイレの設置、歩車道分離、エレベーター、エスカレーターの設置etc…ですか?細かい事をあげればまだまだ色々出てくるとは思いますが、私もその他に公園の充実や街並みの美しさなども考えていました。

今年の6月の終わりから9月初旬にかけて「人にやさしいまちづくり講座」に参加しました。毎週土曜日の午後1時~5時はみっちりこの講座。仕事をしながらですから時間的にかなり大変でした。50名の参加者の多くはそんな人ばかりではないでしょうか。

全部で17講座ありましたが、一番印象に残っているのは脳性マヒの障害をお持ちの行方祐美さんのお話。行動派でいつも色々な角度から物事を見られていて、私にとっては衝撃的なお話ばかり。祐美さんは、“寝たきり老人のいる国、いない国”という本を読んで、その本に出てくる福祉先進国のデンマークに強い憧れをもっていたそうです。そして2年前にエイヤー!とおもいきって、友人と2人で憧れの国デンマークへ。初の海外旅行だったそうです。

「日本と違って憧れのデンマークはどんなにステキな国なのだろう?!ワクワク」という思いは、実際にデンマークに行ってみたら大きく期待を裏切られたそうです。

古き良き時代の家や道を修復して使っているデンマークでは、階段が多く、道は石畳でデコボコ。車イスでいつも行動されている祐美さんは、「どうやって行動するんだろう?」と疑問に思い、質問してみたそうです。すると「ヘルパーが買ってきてくれるから外に出る必要はない。」という返事。何を買うにしても実際に自分がそのものを見て買いたい!と思っている祐美さんにとって、その答えはとても疑問だったそうです。

「確かにデンマークは24時間介護があるかもしれなけれど、コペンハーゲンの街で車イスの人と出会ったのはたった2人だけだった。出にくい街だった。」「北欧は福祉がとても充実しているかもしれないが、もうほとんど制度が固まってしまっている。それに比べて日本はまだまだこれから。行政やみんなの力でどうにでも変われる熱い国です。」という祐美さんの話が印象的でした。

個々の自立した気持ちを尊重できるような、人間らしい“あたたかさ”を感じる福祉制度をつくる可能性が日本にはまだまだある!という希望を私たちに強く伝えてくれました。