Interior Coordinate Office

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■うさぎがおいしい?!■

2年ほど前、福祉住環境コーディネーターの講演会に行った時のことです。講師の先生が「講演の最後に皆さんと一緒に“ふるさと”を歌って終わりにしたいと思います。振り付けがありますので覚えてください!」と、“ふるさと”の振り付けを教えてくれたのです。

「♪兎 追いし かの山♪・・・・・。ここの部分ではまず、手で頭の上にウサギの耳をつくってくださーい(兎)。そして左手をお茶碗の形にし、右手の二本の指でお箸をつくり、おいしそうに食べてください(追いし)。そして蚊を手でパン!と叩くようにして(かの)、手で山を書いてください(山)。」高齢者との楽しいコミュニケーションをとる為の歌として考えられたものなのでしょうね。確かに小学生の時のキャンプファイヤーで、こんな感じで楽しんだ事を思い出しました。最前列の真ん中の席にいた私ですが、恥ずかしさと“ある想い”から振りをつけて歌うことができませんでした。講師の先生ごめんなさい…。

その“ある想い”は、ちょうど独立したばかりの平成7年、市が主催した介護講座に参加したときのことです。講師の先生のお話や、オムツの交換の仕方などを数週間にわたって受講させていただきました。そして講座が終わりに近づいてきた頃、デイケアセンターに伺って実際にどんな事をしているのか見せていただく日がありました。

デイケアセンターでは、お風呂やその他さまざまな設備やシステムを見せていただいたり、お話を伺ったりしました。センター内で働いていらっしゃる方たちは、皆さんとても熱心でやさしくて忍耐強くて感心することばかりでした。そして、センター内にいらっしゃるご老人達が集合したリクリエーションタイムにも参加させていただきました。その時に皆で歌を唄いながら振り付けをつけたのが「ふるさと」でした。(振り付けは、前述のものと全く同じでした。)

歌と振り付けが始まると、激しく泣き出す人も居れば、何とも無関心そうな人、やっていても楽しんでいる様に思えない人など…反応はさまざまでした。その振り付けと情景は、初めて参加した私にはとてもショッキングでした。この方たちは本当に楽しんでいらっしゃるのかしら?と。私がもし高齢者で、体だけが不自由でこの場に参加していると考えると、惨めな気持ちになる気がして涙が出てきました。もちろん、1人ひとりに対応したくてもできない現状があるのでしょうね。

そう感じてから5年以上経って、福祉住環境コーディネーターの講演会で同じ振り付けに出会ったものですから、うさぎおいし♪・・・と歌って楽しめなかったのでした。でも、“♪うさぎ 美味し 蚊の 山~♪と、うれしそうに振付けて歌っていらした他の受講生のおじ様たちを見ると、考えすぎなのかな~?と思ってみたりして複雑な気分なのでした。

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■おじいちゃんの背中■

今でも思い出すと涙が出てくる事があります。それは寂しげなおじいちゃんの背中。“おじいちゃん”は、私の祖父のことではなく、お施主さんであったおじいちゃんのことです。

おじいちゃんは以前勤めていた建設会社のお施主さんでした。おじいちゃんとその息子さんがマンションを新築してくださったのですが、担当者が私でした。マンションプランを練って進めているうちに、おじいちゃんやそのご家族のあたたかさに触れさせていただき、自分の家族であるかのような想いを持ちました。特におじいちゃんは、亡くなった私の祖父に良く似ていて、他人ではないような気がしてなりませんでした。

ある時、おじいちゃんが今住んでいるご自宅の話をしてくれました。おじいちゃんの家は、区画整理のために今住んでいる家を壊して、新たに建て直さなければならなかったのです。そして、大手住宅メーカーで新築することが決まっていました。

おじいちゃんは、「この家はおじいちゃんのおじいさんが建てた家なんだよ。ほらあの柱はとても太いだろ。今、こんな木はなかなか手に入らないよ。見えないけれど、梁もとても太いんだよ。おじいちゃんはこの太い柱と梁を壊してしまいたくないなぁ。」と言っていました。この家を大切に思う気持ちがとても強く伝わってきましたが、その当時の私はそれ以上の想いを持つことはありませんでした。

その数ヵ月後、おじちゃんの家の解体工事が始まりました。気になって見に行くと、おじいちゃんがひとり、壊されていく家をじっと見つめていました。その背中があまりにも寂しそうで、声を掛けることすらできずに帰ってきました。

新しくできた家はとてもとても立派なものでした。上棟式の餅投げでは頑張って屋根に登り、お餅を投げてくれたおじいちゃんは幸せそうでした。でも、新たな年を迎えようとしていた12月31日の夜、おじいちゃんのご家族からの突然の訃報に言葉を失いました。数ヶ月間だけ新しいお家に住んで、おじいちゃんは天国に行ってしまったのです。あんなに元気だったのに..。

ご家族の方が、「おじいちゃんが孫のようにかわいがっていた澤木さんにはお別れに来てもらいたくてお電話しました」と言って下さいました。お別れの日も、家族の皆さんと同じように最後までおじいちゃんのそばに居させていただきました。そんなに大切に思って頂いていたのに、私はおじいちゃんの心の言葉を聞き逃して、思いを叶えてあげることができなかったのです。思い出すのはあの寂しそうな背中…。

今では誰もが知っている古民家再生。古民家再生と言うと、とても大それたことの様に感じていました。でもそれは、そんなに大それたことでなくてもいいのです。おじいちゃんの想いが、たくさん詰まっている柱や梁、建具などを使って居心地のいい住宅を造ることができるのです。当時の私にはそんな発想がひとつもなく、そういった提案をして差し上げられなかった…という思いが、今でも心の中に大きく残っています。

おじいちゃんが幼いころから過ごした町は、今では道も広く整備され、全ての家が新築されてきれいなものばかりで溢れています。でもそこに行くと複雑な思いになり、おじいちゃんの遺影の前ではおじいちゃんに会いたくて仕方がなくなることも確かです。

この出来事は今でも私の心の中で“後悔”という文字で残っています。

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■メダカの母になって■

なんと変わったタイトルだと思われたことでしょう。タイトルにある“メダカの母”は、実は私のことなのです。確か2年ほど前、メダカが絶滅の危機にある事を知りました。川が近くに流れているという環境の中で育った私は、当たり前の様に川の中でたくさんのメダカが泳いでいると思っていたので、その話にとても驚いた事を思い出します。驚いただけではなく、環境をそこまで破壊してしまったことにショックを受けました。

昨年の春、叔父がメダカを近くの川からたくさんすくって来たことを聞きました。早速、そのメダカを増やして川に放流しよう!と5匹もらってきたのです。これが“メダカの母”のスタートでした。絶滅の原因のひとつに、人間が川に放流した外国の偽メダカが日本のメダカを食べてしまうからということがあるそうです。見た目はそっくりだそうで、叔父からもらったメダカが偽メダカでないかどうか豊川市にある「ぎょぎょランド」に持っていき、確認してもらいました。結果は“本物”!これでおもいっきり増やすことになったのです。

ぎょぎょランドの方は、「産み付けた卵を親と別の容器に移してあげるだけ。メダカは簡単に育てることができます。」とおっしゃっていたのですが、今まで“魚”を飼う事に縁のなかった私にとっては、とてつもなく大変な事をスタートさせたのでした。

水槽の中の水草に卵が産み付けられてないか、毎日の卵チェックに始まり、孵化した子メダカたちの世話など、本当に大変でした。分からないことばかりなので、インターネットでいろいろ調べて実行。おかげで1500匹以上の稚魚が誕生。(卵はその倍以上ありました。)その中のほんの一部が成魚になって1年近く経つ今、お腹に卵をつけています。

大切なことのひとつに同じ日本のメダカであっても、決して他の川に放流してはいけないそうです。DNAが違うので生態系を崩してしまうのです。一番大変だったのは環境づくりでした。当然のことながらカルキの入った水道水はダメ。水槽の温度と3度以上違う水にメダカを突然移してはダメ。酸素が欠乏してはダメ。メダカが排出するアンモニアが水の中に含まれすぎてはダメetc…。結局、自然の中ではないのだから、自然に近い状態にしてあげないと死んでしまうのですよね。加えて、手を掛け過ぎても死んでしまうのですよ。

この1年、メダカの母を毎日やっていて、メダカが環境の変化にとても敏感なことに驚かされました。私達人間も、環境づくりを真剣に考えていかないと!何が大切かに気付いていかないと!もっと大変なことになることは間違いないです。メダカの様に環境の変化ですぐに死んでしまうことはないのでしょうが、アレルギーをはじめいろいろな病気になっている人が増えています。「メダカ絶滅の危機」と言っているのが「人間絶滅の危機」とならないように。

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■貧富の差がないことって■

ちょうど4ヶ月ほど前、私が入会しているインテリアコーディネータークラブの研修旅行で、タイのバンコクに行ってきました。

バンコクは、日本の夏を感じさせるような蒸し暑さでした。そのうえ、飛行場に迎えに来てくれた観光バスはかなり古く、バスのトイレのドアはガムテープで押さえてある…。ホテルも高級ホテルにしたはずだったのに、正面玄関前の道は細くきちんと舗装されていない…。
ホテル周辺は薄暗くて恐い!という印象。バンコクに着くなり急に不安な気持ちになったのでした。しかしホテルに一歩入ると、洗練されたインテリアの大空間が目の前に広がっているのです。この外と中の落差にただただ驚くばかり。この落差ある印象は、この旅行中さまざまな場面でも強くなるのでした。

観光地めぐりもよかったのですが、雑貨や街を観てまわったことはとても刺激的でした。バンコクの主要な道路は年中渋滞。乗用車は、ほとんど新車ではないだろうか?と思えるほどピカピカの日本車やヨーロッパ車ばかり。(でも、バスやタクシーは・・・)
あまりに立派な車ばかりだから、私たちの車をバンコクに持って来られないね!と笑っていたほどです。車の値段は日本の2倍以上するとガイドさんがおっしゃっていたので、皆さんかなりお金持ち。(たいてい2台持っているとか)

デパートのインテリアは、東京のデパートなど比べ物にならないほど上手く空間を活かしていました。ショップの造り方も見せ方も優れています。高級感あふれるデパートや、少しカジュアルなデパートはとても魅力的です。でも、すぐ隣にはデザインなど関係ない、値段が勝負のデパートがある。その数百メートル先には、1人で歩くにはちょっと恐い衣料品の市場がある。欲しいものによって、どの場所に行けばいいのかがはっきりしているから便利です。
それにしてもかなりの落差があります。

ホテルも何箇所か観てまわりましたが、バンコクのホテルはとても魅力的。東京の有名なホテルもほとんど行きましたが、どこか違うのです。バンコクのホテルで、たまたま結婚パーティーの準備をしているところを見ましたが、アメリカの映画に出てくるような雰囲気が作られていました。すでに集まっていた参加者たちのドレスアップした姿は、そのまま映画のシーンに出て行っていいのではないだろうかと思える人ばかり。日本でこんな光景に出会えるかしら?私が知らないだけ?
バンコクのお金持ちの人たちはかなり洗練されているのでしょう。街のいたるところで出会う人たちや、ショップを見てもそう感じました。

ただ、歩道には痩せた赤ちゃんを抱いた、痩せたお母さんが大きな紙コップを前に置いて、夜遅くまで座っているのです。排気ガスで黒くなりながら…。小学生くらいの子供達もいたるところでそうしていました。超高層ビルのすぐそばには、落差の激しい建物が建っている光景もいたるところで見られました。

そのときふと思ったのです。日本もそんな時代を経験して現在があるのだから、仕方ないのだろうか。でもちょっと違う気がしてならない。そして日本の皆が中流だと感じる、この平等な生活っていいものだなぁと。実力社会で、頑張った人がお金持ちになるのは当然かもしれないけれど、ある程度の平等は大人の社会ならでは!でないだろうかと感じたのです。
あらためて日本の欠点と言われていることが、とてもいいものに思えたのでした。

タイでは感心することも多くありました。タイでは日本の良さも多く感じました。
地球規模で考えると、何がいいのだろうと考えるいい機会にもなりました。

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■子供たちに教えられ■

昨年の7月から今年の2月まで、ある小学校へ「クラブティーチャー」として伺っていました。地域の人に“ものづくりなどの先生”として来てもらい、学校と地域が一体となって子供たちの豊かなこころを育もう!という取り組みなのです。私は地域住民ではありませんでしたが、声がかかったので喜んで引き受けたのでした。

インテリアの授業は、「カラー」「インテリアスタイル」などを、なるべく目で見て覚えてもらえるように毎回進めていきました。
2月の最終日には、4時間かけてそれぞれが製作した「夢の部屋」をみんなの前で発表してもらいましたが、その完成度は私を驚かしてくれるほど素晴らしいものでした。

その発表の後、こちらでテーブルセッティングした机で、ジャズやクラシックを聞きながらハーブティーとパンを食べました。そして、用意したパンの「香り」や「柔らかさ」、「見た目」、「味」を子供達に意識してもらいました。食事は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5感を感じながらしているんだということを、理解してもらったのです。
「いつも食べる給食を、このテーブルで食べたほうがおいしく感じると思う。」
「なんか、おちつくー。」「パンも、のせる入れ物をかえるだけですっごくおいしそう!」
子供達の素直な反応が、うれしくて仕方ありませんでした。そして、即実行してもらえる様、お金をかけなくても素敵なインテリアにすることができることを伝えたのでした。
そして私は、一番やんちゃだった4年生の子の「なんか心がおちつく-!」の言葉で、ちょっとした配慮だけでも“豊かな時間”を子供達が感じてくれることを実感したのでした。

小学校での授業の終わりとして、どうしても伝えておきたかったことがあり、音楽を聞きながらパンを食べている子供達にまず、街並みの写真を見てもらいました。
スイス、ドイツ、パリ、ロンドン、ギリシャetc…。子供達はどの写真を見ても「きれい!」「なんか、屋根の色が全部一緒できれい!」「建物が古くてもきれい!」と感想を述べていました。その後、日本の田舎の写真を見せても「きれい!」と感じてくれました。

最後に、色々な建物が入り混じっている日本の街並みの写真を見せたところ、すかさず声を揃えて「きたなーい!!!!!!」と言うのです。この反応に、子供達のきれいなものを見る感性の鋭さをとても強く感じ、ますますうれしくなってきたのでした。

そう感じてくれた子供達に、「インテリアは自由に、自分の好きなようにしていいよ。でも家の外側は、自分勝手に作ってはいけないんだよ。外国のきれいな街は、決して新しい建物ではないけれどきれいだったよね。それは、まわりの建物と調和させているからなんだよ。日本も昔は、調和を考えていたからとてもきれいだったんだよ。今、そのことを忘れてしまっている大人が多いけれど、みんなはそのことを忘れないでね。」と話をし、授業を終わりました。

ある日、山形のインテリアコーディネーターと小学校での授業について電話で話をする機会がありました。彼女も、日本も欧米諸国のように小学生のうちから住居に関して学ぶべきだと考えている人でした。話をしていてお互いにとても驚いたことがあります。それは、小学生と大学生の違いです。彼女の知っている大学教授が以前、偶然にも私と同じ質問を学生達にしたことがあるそうです。大学生達は、ヨーロッパの古い街並みを「美しい!」と言ったそうです
(小学生と同じで安心…)。ところが、日本の街並みを見せたときに「それはそれでいいんじゃない。」という感想を述べたそうです。大学生までになると、今の現状をそのまま受け止めてしまうようです。

子供の持っているこの素晴らしい感性を、素直に伸ばしてあげられたらどんなにすばらしいだろうか。私たち大人が変わっていけば、この素晴らしい子供達は、ますますその能力を発揮していけるのだろうなぁと感じたのでした。

校長先生がおっしゃっていました。「地域の方々と子供達との交流が、まず第一の目的です。」と。交流によって、さまざまな影響や刺激、安心感を子供達にもたせてあげることが出来る事を、校長先生も、他の先生方も地域の方々もご承知の上で、実現させていらっしゃるようでした。この小学校の取り組みで、とても多くのことを学ばせていただきました。  教えてくれたのは子供たちでした。