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■おじいちゃんの背中■

今でも思い出すと涙が出てくる事があります。それは寂しげなおじいちゃんの背中。“おじいちゃん”は、私の祖父のことではなく、お施主さんであったおじいちゃんのことです。

おじいちゃんは以前勤めていた建設会社のお施主さんでした。おじいちゃんとその息子さんがマンションを新築してくださったのですが、担当者が私でした。マンションプランを練って進めているうちに、おじいちゃんやそのご家族のあたたかさに触れさせていただき、自分の家族であるかのような想いを持ちました。特におじいちゃんは、亡くなった私の祖父に良く似ていて、他人ではないような気がしてなりませんでした。

ある時、おじいちゃんが今住んでいるご自宅の話をしてくれました。おじいちゃんの家は、区画整理のために今住んでいる家を壊して、新たに建て直さなければならなかったのです。そして、大手住宅メーカーで新築することが決まっていました。

おじいちゃんは、「この家はおじいちゃんのおじいさんが建てた家なんだよ。ほらあの柱はとても太いだろ。今、こんな木はなかなか手に入らないよ。見えないけれど、梁もとても太いんだよ。おじいちゃんはこの太い柱と梁を壊してしまいたくないなぁ。」と言っていました。この家を大切に思う気持ちがとても強く伝わってきましたが、その当時の私はそれ以上の想いを持つことはありませんでした。

その数ヵ月後、おじちゃんの家の解体工事が始まりました。気になって見に行くと、おじいちゃんがひとり、壊されていく家をじっと見つめていました。その背中があまりにも寂しそうで、声を掛けることすらできずに帰ってきました。

新しくできた家はとてもとても立派なものでした。上棟式の餅投げでは頑張って屋根に登り、お餅を投げてくれたおじいちゃんは幸せそうでした。でも、新たな年を迎えようとしていた12月31日の夜、おじいちゃんのご家族からの突然の訃報に言葉を失いました。数ヶ月間だけ新しいお家に住んで、おじいちゃんは天国に行ってしまったのです。あんなに元気だったのに..。

ご家族の方が、「おじいちゃんが孫のようにかわいがっていた澤木さんにはお別れに来てもらいたくてお電話しました」と言って下さいました。お別れの日も、家族の皆さんと同じように最後までおじいちゃんのそばに居させていただきました。そんなに大切に思って頂いていたのに、私はおじいちゃんの心の言葉を聞き逃して、思いを叶えてあげることができなかったのです。思い出すのはあの寂しそうな背中…。

今では誰もが知っている古民家再生。古民家再生と言うと、とても大それたことの様に感じていました。でもそれは、そんなに大それたことでなくてもいいのです。おじいちゃんの想いが、たくさん詰まっている柱や梁、建具などを使って居心地のいい住宅を造ることができるのです。当時の私にはそんな発想がひとつもなく、そういった提案をして差し上げられなかった…という思いが、今でも心の中に大きく残っています。

おじいちゃんが幼いころから過ごした町は、今では道も広く整備され、全ての家が新築されてきれいなものばかりで溢れています。でもそこに行くと複雑な思いになり、おじいちゃんの遺影の前ではおじいちゃんに会いたくて仕方がなくなることも確かです。

この出来事は今でも私の心の中で“後悔”という文字で残っています。