Interior Coordinate Office

2001

- NEWS - COLUMN

■子供とともに■

3歳の甥っ子が急に「びんらでぃんし!びんらでぃんし!」と叫びます。もちろん何のことか分かっていません。「おまえなんて、ほうちょうできってやるー!」といった言葉にびっくりして叱ったこともあります。これももちろん深い意味などは分かっていないことでしょう。まだ幼稚園にも行っていないのですから、おそらくテレビで耳にした言葉や、目にした事を覚えてしまったのだと思います。

とにかく甥っ子は、3歳にして大人の観るような番組を観てしまっているようです。それには親やテレビ局、社会全体、もちろん近くにいる私にも原因があると思います。テレビ番組は、私自身も観るのが辛くなるような番組が度々あり、すぐに変えてしまいます。そして、これを子供が観たらどうしよう!と、とっさに時計を見て、全国の子供達が起きている時間ではないか確認してしまう癖がつきました。そしてその番組を観ていない事を願ってしまうのです。また、私たちが子供の頃はよく読みなさいと言われた新聞も、最近はあまり読んでほしくないなぁと感じてしまうのです。

その甥っ子は、私が外壁タイルを太陽の光に当てながら色合わせをしていると、ジーッと見ていて「この色にはこの色があうと思うよ!」なんて言ってきます。いろいろな仕上げ材を広げて、色合せをしている私を度々見ているうちに、どうやら色に興味を持ってしまったようです。最近では「このGパンにはこの色のくつ下とくつ!」と言っては、自分で服などをコーディネートして着ています。ガーデナーが甥っ子の家のアプローチを作ってくれている横で、私がプレゼントしたタイルを鮮やかに並べて、私たちを驚かしてもくれます。

甥っ子を見ているだけでも、無限大に可能性を持っていることを感じます。また、私たちのやっていること、テレビで言っている事を真似して大きくなっている事を目の当たりにすると、子供達に大きな影響を与えているのが私たち大人であることも実感し、責任を感じます。

今年は本当に辛く悲しい事件が多くあり、今でも解決していない状態です。苦しんでいる人々や子供達の事を思うと胸が苦しくなります。大人達のエゴを強く感じた1年でもありました。今年起きてしまった数々の不幸な出来事は、この2001年に置いて行きたい。そして2002年は、今までの良くない出来事を反省して行き、どんな小さなことにも感謝して行きたいと思っています。

子供達が、愛、思いやり、優しさ、和という心温まる出来事をより多く感じて、そういった言葉がたくさん耳に入るような世の中にしていきたい。そして、世界中の人々が平和に暮らしていけることを願い続けたい。まずは、自分自身が心掛けて生きていくことだと実感しています。

- NEWS - COLUMN

■人にやさしいまちづくり/Ⅱ■  

「人にやさしいまちづくり講座」の後半では、10人を1グループとしたグループ学習がありました。それぞれのグループで決めた場所で「人にやさしいまちづくり」について検証し、提案をするというものです。私のいたグループは、“豊川稲荷の門前町”のまちづくりについて取り組みました。

まずは門前町を歩いてみることからスタートし、別の日には市営駐車場から豊川稲荷正門までの道のり(門前通り)を、車椅子とベビーカーを押して歩いたり、門前町の店主さん達にバリアフリーなどの取り組みについて聞いてまわりました。

ただこういった事をしていると、ついつい高い位置からここがいけない、あそこがいけないと悪いところに目を付けては批判してしまいがち。私たちのグループに同行していてくれたアドバイザーの方の助言がなかったら、何のためらいもなく私もそうなってしまったことでしょう。

そのアドバイザーの方は、「突然来た人が数回だけ門前町を見て、あそこが悪い、ここが悪いと言っても、毎日門前町のことばかり考えている方々の足元にも及ばないだろうし、失礼だと思うよ。」「段差などのチェックばかりして歩いていても良い提案などできないと思うよ。」「外から見た意見として伝えていくのは歓迎されるだろうね。」など、何気なくアドバイスしてくれるのです。そして明るく「さあ、暑いからカキ氷でも食べましょうか!」「どこでお昼を食べようか?」と色々なお店に入ることをそれとなく提案してくれるのです。

ハッと気付いたのですが、この提案は頭の固いお役人になりかけていた私たちを、お稲荷さんに参拝に来た人や地元の利用者の立場に変えてくれたのです。ほんのわずかな時間で検証して提案するのだから、大それた提案をすることなどなかなかできない。ならばこうしてお店に入って食事をして楽しんで、門前町により近づいてみることが大事。利用者の視点になってはじめて“人にやさしいまちづくり”の提案が少しできると言うわけなのですね。

このグループ学習を発表会で発表した時、発表に対するコメントをくださる先生に「車椅子に自分達が乗って検証してたらいかんねー。あんた達はせいぜい乗ったって数時間でしょ?!車椅子を使って生活している人にどうして協力してもらおうと思わんかったわけ?」と指摘されました。全くごもっともです。どうしてその発想がなかったのかと情けなくなりました。

人にやさしいまちづくりは、“かたち”から入るのではなく、“人の心”が大切だということをとても強く感じさせられました。私たちのグループの報告書はメンバーのひとりのこの言葉で締めくくられています。「心が動いて はじめて人が動く。 人にやさしいまちづくりとは 地道な努力の積み重ねでもある。」

 

- NEWS - COLUMN

■人にやさしいまちづくり/Ⅰ■

「人にやさしいまち」というと何を連想されますか?段差がない、障害者用トイレの設置、歩車道分離、エレベーター、エスカレーターの設置etc…ですか?細かい事をあげればまだまだ色々出てくるとは思いますが、私もその他に公園の充実や街並みの美しさなども考えていました。

今年の6月の終わりから9月初旬にかけて「人にやさしいまちづくり講座」に参加しました。毎週土曜日の午後1時~5時はみっちりこの講座。仕事をしながらですから時間的にかなり大変でした。50名の参加者の多くはそんな人ばかりではないでしょうか。

全部で17講座ありましたが、一番印象に残っているのは脳性マヒの障害をお持ちの行方祐美さんのお話。行動派でいつも色々な角度から物事を見られていて、私にとっては衝撃的なお話ばかり。祐美さんは、“寝たきり老人のいる国、いない国”という本を読んで、その本に出てくる福祉先進国のデンマークに強い憧れをもっていたそうです。そして2年前にエイヤー!とおもいきって、友人と2人で憧れの国デンマークへ。初の海外旅行だったそうです。

「日本と違って憧れのデンマークはどんなにステキな国なのだろう?!ワクワク」という思いは、実際にデンマークに行ってみたら大きく期待を裏切られたそうです。

古き良き時代の家や道を修復して使っているデンマークでは、階段が多く、道は石畳でデコボコ。車イスでいつも行動されている祐美さんは、「どうやって行動するんだろう?」と疑問に思い、質問してみたそうです。すると「ヘルパーが買ってきてくれるから外に出る必要はない。」という返事。何を買うにしても実際に自分がそのものを見て買いたい!と思っている祐美さんにとって、その答えはとても疑問だったそうです。

「確かにデンマークは24時間介護があるかもしれなけれど、コペンハーゲンの街で車イスの人と出会ったのはたった2人だけだった。出にくい街だった。」「北欧は福祉がとても充実しているかもしれないが、もうほとんど制度が固まってしまっている。それに比べて日本はまだまだこれから。行政やみんなの力でどうにでも変われる熱い国です。」という祐美さんの話が印象的でした。

個々の自立した気持ちを尊重できるような、人間らしい“あたたかさ”を感じる福祉制度をつくる可能性が日本にはまだまだある!という希望を私たちに強く伝えてくれました。

- NEWS - COLUMN

■うさぎがおいしい?!■

2年ほど前、福祉住環境コーディネーターの講演会に行った時のことです。講師の先生が「講演の最後に皆さんと一緒に“ふるさと”を歌って終わりにしたいと思います。振り付けがありますので覚えてください!」と、“ふるさと”の振り付けを教えてくれたのです。

「♪兎 追いし かの山♪・・・・・。ここの部分ではまず、手で頭の上にウサギの耳をつくってくださーい(兎)。そして左手をお茶碗の形にし、右手の二本の指でお箸をつくり、おいしそうに食べてください(追いし)。そして蚊を手でパン!と叩くようにして(かの)、手で山を書いてください(山)。」高齢者との楽しいコミュニケーションをとる為の歌として考えられたものなのでしょうね。確かに小学生の時のキャンプファイヤーで、こんな感じで楽しんだ事を思い出しました。最前列の真ん中の席にいた私ですが、恥ずかしさと“ある想い”から振りをつけて歌うことができませんでした。講師の先生ごめんなさい…。

その“ある想い”は、ちょうど独立したばかりの平成7年、市が主催した介護講座に参加したときのことです。講師の先生のお話や、オムツの交換の仕方などを数週間にわたって受講させていただきました。そして講座が終わりに近づいてきた頃、デイケアセンターに伺って実際にどんな事をしているのか見せていただく日がありました。

デイケアセンターでは、お風呂やその他さまざまな設備やシステムを見せていただいたり、お話を伺ったりしました。センター内で働いていらっしゃる方たちは、皆さんとても熱心でやさしくて忍耐強くて感心することばかりでした。そして、センター内にいらっしゃるご老人達が集合したリクリエーションタイムにも参加させていただきました。その時に皆で歌を唄いながら振り付けをつけたのが「ふるさと」でした。(振り付けは、前述のものと全く同じでした。)

歌と振り付けが始まると、激しく泣き出す人も居れば、何とも無関心そうな人、やっていても楽しんでいる様に思えない人など…反応はさまざまでした。その振り付けと情景は、初めて参加した私にはとてもショッキングでした。この方たちは本当に楽しんでいらっしゃるのかしら?と。私がもし高齢者で、体だけが不自由でこの場に参加していると考えると、惨めな気持ちになる気がして涙が出てきました。もちろん、1人ひとりに対応したくてもできない現状があるのでしょうね。

そう感じてから5年以上経って、福祉住環境コーディネーターの講演会で同じ振り付けに出会ったものですから、うさぎおいし♪・・・と歌って楽しめなかったのでした。でも、“♪うさぎ 美味し 蚊の 山~♪と、うれしそうに振付けて歌っていらした他の受講生のおじ様たちを見ると、考えすぎなのかな~?と思ってみたりして複雑な気分なのでした。

- NEWS - COLUMN

■おじいちゃんの背中■

今でも思い出すと涙が出てくる事があります。それは寂しげなおじいちゃんの背中。“おじいちゃん”は、私の祖父のことではなく、お施主さんであったおじいちゃんのことです。

おじいちゃんは以前勤めていた建設会社のお施主さんでした。おじいちゃんとその息子さんがマンションを新築してくださったのですが、担当者が私でした。マンションプランを練って進めているうちに、おじいちゃんやそのご家族のあたたかさに触れさせていただき、自分の家族であるかのような想いを持ちました。特におじいちゃんは、亡くなった私の祖父に良く似ていて、他人ではないような気がしてなりませんでした。

ある時、おじいちゃんが今住んでいるご自宅の話をしてくれました。おじいちゃんの家は、区画整理のために今住んでいる家を壊して、新たに建て直さなければならなかったのです。そして、大手住宅メーカーで新築することが決まっていました。

おじいちゃんは、「この家はおじいちゃんのおじいさんが建てた家なんだよ。ほらあの柱はとても太いだろ。今、こんな木はなかなか手に入らないよ。見えないけれど、梁もとても太いんだよ。おじいちゃんはこの太い柱と梁を壊してしまいたくないなぁ。」と言っていました。この家を大切に思う気持ちがとても強く伝わってきましたが、その当時の私はそれ以上の想いを持つことはありませんでした。

その数ヵ月後、おじちゃんの家の解体工事が始まりました。気になって見に行くと、おじいちゃんがひとり、壊されていく家をじっと見つめていました。その背中があまりにも寂しそうで、声を掛けることすらできずに帰ってきました。

新しくできた家はとてもとても立派なものでした。上棟式の餅投げでは頑張って屋根に登り、お餅を投げてくれたおじいちゃんは幸せそうでした。でも、新たな年を迎えようとしていた12月31日の夜、おじいちゃんのご家族からの突然の訃報に言葉を失いました。数ヶ月間だけ新しいお家に住んで、おじいちゃんは天国に行ってしまったのです。あんなに元気だったのに..。

ご家族の方が、「おじいちゃんが孫のようにかわいがっていた澤木さんにはお別れに来てもらいたくてお電話しました」と言って下さいました。お別れの日も、家族の皆さんと同じように最後までおじいちゃんのそばに居させていただきました。そんなに大切に思って頂いていたのに、私はおじいちゃんの心の言葉を聞き逃して、思いを叶えてあげることができなかったのです。思い出すのはあの寂しそうな背中…。

今では誰もが知っている古民家再生。古民家再生と言うと、とても大それたことの様に感じていました。でもそれは、そんなに大それたことでなくてもいいのです。おじいちゃんの想いが、たくさん詰まっている柱や梁、建具などを使って居心地のいい住宅を造ることができるのです。当時の私にはそんな発想がひとつもなく、そういった提案をして差し上げられなかった…という思いが、今でも心の中に大きく残っています。

おじいちゃんが幼いころから過ごした町は、今では道も広く整備され、全ての家が新築されてきれいなものばかりで溢れています。でもそこに行くと複雑な思いになり、おじいちゃんの遺影の前ではおじいちゃんに会いたくて仕方がなくなることも確かです。

この出来事は今でも私の心の中で“後悔”という文字で残っています。