Interior Coordinate Office

2002

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■桜守(さくらもり)■

名古屋に行く途中の電車の中で読んでいた本の中に、桜守(さくらもり)をされている「佐野藤右衛門さん」の話が出てきました。弱りかけた桜があると聞けば、全国どこへでも出かけて行くという佐野さんは、京都の嵯峨野に住む、造園業「植藤」の十六代目だそうです。

その佐野さんの話がとても興味深かったのです。もっとこの方の事を知りたいと思っていたら、ナントその翌日、NHKテレビの「人間ドキュメント」という番組で、「桜のいのち 木のこころ ~桜守 佐野藤右衛門~」と、取り上げていたのです。この偶然に大感激でした。

佐野さんは、「桜を世話したり、育てているつもりはない。ただ、桜の“もり”をしているだけだ。」とおっしゃっていました。「いつも一緒にいて、気にかけていればいい。必要な時だけ手を差し伸べてやれば、自分の力で育って行く。子守りと同じだ。」と言うのです。

「“世話”と“お守(おもり)”と、どう違うのですか?」という質問には、「“おもり”というのは、いつも一緒にいること。いつも背中に乗せているということ。“世話”はそこに行って何かをすること。“世話”は、してやったことだけしか分からない。“おもり”はいつも一緒にいるから、全部分かってくる。」「今、子守りをしないから具合が悪い。“子守り”をせんと、“子育て”をしているから子供達がおかしくなってくる。」とおっしゃるのです。

佐野さんは、弱った桜に薬をやったり、強い肥料をやりません。何が原因で弱ってしまったかを突き止めて、原因を取り除いてやるのです。“お守”をしているからこそ分かる原因なのでしょうね。後は桜に任せるしかないと見守っているのです。

“世話はしない、もりをするだけ”と聞くと、一瞬、無責任な事のように感じました。しかし、「いつも一緒にいて、困った時だけ手を差し伸べる」という“もり”は、かなり難しく、成熟した人でなければできないのではないかと思います。佐野さんの短い言葉の中に、さまざまな経験や想いが詰め込まれていました。

電車の中で、佐野さんの想いにほんの少し触れた後、行き先だった名古屋市公会堂に着きました。鶴舞公園の中にあるこの公会堂は、大変古い建物でした。外壁に使われている石とタイルが重厚感をかもし出しています。内部の仕上げも、すばらしい細工がいく箇所もあり、ついつい見入ってしまいます。古いけれど、とても魅力的な建物です。

桜守りではないけれど、この公会堂も誰かがお守りをしているからこそ、残っているのでしょうか。成熟した人の、“もり”があればこそのものを身近に感じたのでした。

そして、「どうせ20年もしたら壊しちゃうから」という思いの、お守りのいらない建物だけはつくりたくないと、ますます強く感じたのでした。

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■住む人のための家づくり■

2002年3月半ば、長い間携わってきた住宅が一軒竣工しました。第1回目の打合せ記録を見てみると1999年12月とあるので、なんと2年3ヶ月もの年月を経ての竣工なのです。建築に着手したのが2001年の9月なので、打合せ期間にじっくり時間をかけたことになります。お施主さんは20代のお若いご夫婦。真っ向から家づくりに取り組まれて夢を実現されました。

お二人の要望は“和”ではなく“洋”。外観も当然洋風ですが、周りの住宅や環境に配慮して、色味の落ち着いた主張しすぎない外観にされました。ともすれば自分達の想いだけで家づくりをしがちですが、このご夫婦は周りへの配慮をきちんと考えていました。これからお庭やアプローチに緑を植えていかれるので、ますます環境と調和した素敵な住宅になります。

その代わり、住宅の内部は思いっきりお二人の要望が入っています。テラコッタタイルにムクの床、珪藻土の壁に間接照明。階段の手摺りにしても、建具の1枚1枚にしても、全てにこだわりをもって決めています。風の流れや光、雨の日や留守中の洗濯物を干す場所、水の使い方からスピーカーの配線に至るところまで。他の人では全く分からない場所までこだわって配慮しました。

そして、プライベート空間にはお客様が入られることはまずないということで、壁や天井を珪藻土でご自分達で塗りました。子供部屋の壁や天井は、お子さんがまだいらっしゃらないという事もあり、下地材のままになっています。自分達の生活のリズムや、お子さんの成長に合わせて徐々に仕上げていくのです。

例えば、今後お子さんが壁いっぱいに落書きしたって平気。壁が下地材のままなのだから、後からきれいに珪藻土を塗ってしまえばいいのです。ここのお宅は、木製の玄関ドアの塗装だって自分達で天然塗料を塗って仕上げました。今後のメンテナンスもある程度はご自分達でやられる様です。

個人住宅は、人によって価値観が全く違います。誰が住み、誰の為の住宅なのかという事をよくわかっているからこそ、満足のいく家づくりが出来たのだと思います。そこに住む予定が全くない人の価値観をたくさん入れていたら、自分達の事はどこかに置き忘れた家づくりになっていたと思います。

外観は環境に配慮し、家の中は自分達が心地よく感じることに重点をおいてつくっていったこの家は、きっと永遠に大切にされることでしょう。