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■流されないで■

オランダのハーグで開かれている「気候変動条約会議」で、アメリカ代表団団長が記者会見中に女性からパイをぶつけられる映像を、先日ニュースで見ました。アメリカが地球温暖化防止に積極的でないとうのが理由だそうです。

この会議では、日本もとても厳しく批判されている様です。
確かに日本は、途上国などの森林を破壊していると聞きます。(森林は二酸化炭素削減にとても効果があるのです。)現在、日本が途上国でどの程度森林破壊をしているのか具体的には分からないのですが、私たちもしっかり気を引き締めなければ!と感じます。木の使用目的を想像する時、“建築”がまず浮かんできますから..。

日本の建築には、当然外国の木よりも日本の木の方が適しています。また建築では、使う場所によって適している木の種類も違ってきますので、様々な木を各所で使うことができます。
ただ現在、日本の林業は衰退しています。荒れ果てた山林が、それこそ山のようにあるようです。有り余っている日本の木は使われず、外国の木を安く輸入して使用しているからです。

日本の木を私たちがもっと使えば、単純に考えても素晴らしい効果ばかり期待できます。
まず、日本の林業が潤ってきて、そこで働く人たちの生活も潤ってきます。私たちも、より良質な材料をお値打ちな金額で手に入れることができます。そして私たちの住む家にこの風土にあった木を使うので、とても気持ちのいい快適な生活を得ることができるのです。

結果として外材に頼りすぎないようになるので、途上国の森林破壊を防ぐことにもなります。そうそう、もう1つ!山に人の手が入ることによって、きれいに整理された山林が出来上がるので、杉花粉で悩まされる人も減るのです!?(花粉症に悩む私はうれしい!)

みんなが共通して幸せになってしまう事って、案外近くにたくさん転がっているのかもしれません。仕事の忙しさや社会の流れに流されてばかりいると、気づかないで過ぎていってしまいそうですが。

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■やさしい瞳から/Ⅱ■

なぜエネルギーが2100年には爆縮(急激になくなること)してしまうかというと、これから先進国が増えてくることがその理由の1つだそうです。日本は1970年代に先進国になりましたが、経済の成長と共に消費も急激に増加し、1970年頃に比べると現在は、エネルギー消費が大幅に増えているそうです。後進国が経済成長と共に、今の先進国の様にエネルギーを使い始めたら?!と考えると、とんでもないことになることが想像できるというのです。

ただ、一度得た快適性や利便性はなかなか捨てられません。だから社会が進化しているし、文化もあります。これらの快適性を、エネルギーを使わないためにがまんしなさいと言っても、そうそうできるものではありません。快適性、利便性を維持し、いかにエネルギーを使わないようにして行くかというと、今までのように「経済の成長=消費エネルギー量増加」にならない成長にする。つまり「循環型社会」にするしかないという事だそうです。

「循環型社会」とは、「1」のエネルギーから「1」の物をつくり出すのではなく、エネルギーを循環させて「1」のエネルギーから「100」いや「百万」の物をつくり出していくという事だそうです。ペットボトルを再生して使うという事は、これにあてはまらないそうです。なぜかというと、再生するのにまた多くのエネルギーを消費しているからです。

ではどうやって「1」のエネルギーからそれ以上の物を作り出すのか…。例えば、日本の風土は夏の暑いときに湿気が多く、冬の湿気が欲しいときに湿気が少ない、快適とは言えない風土です。日本とは全く反対の気候(快適な気候)である国の住宅を、そのまま日本で造ると、エアコンなどの力を借りなくては快適に過ごすことができない訳です。エアコンなど、エネルギーを消費する物を使わずに快適にすることができないだろうかと考えると実はあるのです。
例えば、木や土などの孔を持っている材料を住宅に使うと湿度コントロールしてくれます。

石田氏は、ご自宅の分譲マンションの壁に珪藻土を塗り、床には土を蒸したタイル(製品化されているもの)を貼られたそうです。それまではエアコン無しでは考えられなかった生活が、改装してから一度もエアコンを使っていないとか。土が湿度を調節してくれるのでとても快適で、使う必要がないのだそうです。快適さは他にも表れ、魚を七輪で焼いても匂いが部屋に残らない。そればかりか、匂いを感じることのできなかった奥様が、ある日突然「いい香りがするわね。」と言い出したそうです。
快適さをただ感じるだけでなく、改装前と改装後の自宅の各所温度や湿度、消費電力のデータを比較した結果、大きく差が出、快適さを立証していました。

「1」のエネルギーを「100」にも「100万」にもできる。そして、より快適な住宅を造って行きたい!そう強く感じた講演会でした。

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■やさしい瞳から/Ⅰ■

今年の8月、冷房がガンガンかかった会議室で行われたセミナーで、私は始まりから終わりまでの90分間、まばたきすらできないほど(ちょっと大げさ!?)講師の先生のお話に釘付けになっていました。

釘付けになったセミナーは、㈱INAXの技術統括部 部長でもあり、金沢大学・豊橋技術科学大学・日本福祉大学の客員教授でもある、工学博士の石田秀輝氏のお話。「循環型社会と新しい住まい方」でした。
やさしい瞳で、語りかけるようになめらかに環境問題などについて話してくださるのですが、その思いの強さと、専門的な統計によるグラフに、心から危機感を感じたのでした。

今、いつも感じている「家造りはこれでいいのだろうか?」という思いはもっと強くなってきたのでした。今まで色々と考えてはいたものの、どうしても難しい話になりそうで、正面から環境問題についてぶつかって行くことがなかったのは確かでした。ただ、お話を聞き終わった後に、肩の力を少々抜いて考えることができたのです。そんなに難しく考えずに少しずつ改善して行けそうな、そんな気がしてきたのです。そのお話をちょっとだけおすそ分け。

地球が誕生して45億6千万年。その年月を一年間に置き換えると……。
お正月に地球が誕生しました。土ができたのは、ナント“11月28日”。(今、アスファルトの下に隠れてしまっている土は、そんなに長い年月をかけてやっとできたものなのですね!!)

私たち人間は“12月31日23時59分50数秒”に誕生したのだそうです。二本足で歩くことができるようになった人間が誕生して、現代の私たちに至るまで、わずか数秒しか経っていない...。(たったそれだけなの!!)

地球が誕生して、わずか数秒しか地球上にいない私たち人間。しかも、もっとわずかしかこの地球上に居ない「近代社会に生きる人間」の私たちが、地球のエネルギーを使い果たそうとしているのです。(悲しい現実…)
このままで行ったら2100年にはエネルギーが爆縮してしまう(急激になくなる)そうです。

また、この地球上で暮らしていける人口の限界は、約80億人だそうです。2000年の現在、約60億人が地球上で暮らしているとか。1950年には25億人だったので、わずか50年で35億人の地球上の人口が増えたのです。これほどまでに自分達を追い込んでしまった私たちは、いったいどうしていったらいいのでしょうか。

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■ハイデルベルグ(ドイツ)&豊橋■

今年の7月に行ったヨーロッパ旅行の始まりはドイツでした。フランクフルトから車で約1時間半ほど南下した場所にある「ハイデルベルグ」を最初に尋ねました。「哲学の道」があるゲーテの愛した街です。

ハイデルベルグは、ネッカー川を中心に古い街並みで形成されていました。ネッカー川にかかる最古の橋からは、小高い丘に建つ「ハイデルベルグ城」を眺めることができます。ちょうど豊橋市に置き換えると、「とよ川」と「吉田城」、「吉田大橋」の関係に少々似ています。

その小高い丘の上に建つハイデルベルグ城から街を見下ろしたのですが、それは本当に美しい眺めでした。街には、高級感あふれる建物や、新しい建物が建っているわけでは決してありません。むしろ、古くて素朴な建物が多い「田舎町」という雰囲気です。
建物の新しさから言えば、豊橋の方がずっと新しい建物ばかりです。ハイデルベルグほどの古い建物を豊橋で探そうと思っても、そうそう見つかるものではなさそうです。でも、とても美しいのです。

ハイデルベルグは、街全体の色味がこの風土にとても調和していました。
街の建物の屋根は、すべてこの地域の赤土を使った瓦だと聞きました。なるほど納得..。
屋根の色が街全体で統一されているのは一目瞭然だったのですが、その土地の土を使っているのだから、屋根の色がその土地の川や木々、草や土など全ての色に調和しているのでしょう。

街の中を歩いていても同じことが言えました。街中の道には石が敷き詰めてありました。その石畳に調和するかのように建ち並ぶ建物、そして外灯、看板。何を基準に調和させているのか分かりませんが、言えることは環境を無視した建物はひとつも建っていないということです。
環境は、自然がもたらすものもありますが、加えて人間が作り出す環境もあります。その場所に建つ建物も環境のひとつで、とても大切なものです。
自分の建物だけが目立てばいい!素敵であればいい!などと考えるのではなく、お互いに調和する建物を作っていけば、おのずとハイデルベルグのようなステキな街が出来上がってくると思うのです。

日本に戻って来てから、以前から気になるところがたくさんある街並み、何度も眺めている街並みを見るために、豊橋市役所の最上階にある展望室に行きました。
以前の豊橋はきっと美しかっただろうなぁ...。立派な建物じゃなくても、三河の土や木を使った家ばかりだった頃は、心休まる街並みだっただろうなぁ...。そう感じながら眺めていました。

「 新しいもの」がすべて優れているかと言えば、そうでもない気がしてなりません。

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■ヨーロッパ珍道中■

旅行に出掛けるのは、ちょっとした刺激もおおく、気分転換になるものです。特に海外などに出掛けると、食べ物も建物も文化も違うので(当然人も!)、刺激やエネルギーが多く、チャンスがあれば飛んでいきたくなります。

先週の日曜日、急に決まったドイツ・スイス・パリの旅行から帰ってきました。
ドイツ、スイスでは素朴で自然の多い街や山を観光し、その後フランスのパリに滞在するというものでした。パリはちょうどパリ祭の真っ最中で、かつ、アメリカ人のホリデイの時期と重なり、それはそれはすごい人の数でした。パリにブランド物を買いに行く人も多いと思いますが、私の興味あるものはインテリアや建築に関するもの。パリはどこに行っても私を立ち止まらせてしまうところばかりでした。

パリにお買い物に行った日本人から“パリの人はプライドが高くて、観光客には冷たい態度をとる。”という言葉を何度か聞いたことがありましたが、想像以上に親切なパリっ子ばかりに出会いました。道を尋ねると、英語で丁寧に教えてくれるのです。ただ、店員さんなどに、感じのいい方が少なかったのは確かでした。特に地下鉄の駅員さんのお客さんに対する非協力的な態度は、おかしくなってしまうほど。

私と友人は、ホテルからベルサイユ宮殿へ地下鉄を利用して行きました。切符を購入する時に困らないで言えるようにと、紙にフランス語で「ドゥ・ビエ・シル・ブ・プレ(2枚の切符を下さい)」とカタカナで書いておきました。友人が「私が買ってくるね!」とその紙を持って切符売り場に行ったのはいいのですが、窓口でとっても嫌な顔をされているのです。何が問題なのかしら?と行ってみると、ナント友人はカタカナで書いたその紙を、駅員さんに向かって見せているだけだったのです!!!声に出して言わなければ分かるはずもなく..。

日本では優秀なキャリアウーマンの友人からは、想像もできないほどギャップある行動に、笑いをこらえることができませんでした。”旅の恥は掻き捨て。”こんな言葉があると言うことは、旅では恥を掻きやすいのでしょうか。あの駅員さんの迷惑そうなイヤーな顔は今でも鮮明に浮かんできます。

嫌な顔をされるのは、こちらにも何か原因がありそうです。その原因は、端から見ている者にとってはおもしろいことも多そうですが。